意識の高み

意識高い系という言葉が今存在するのか定かではないのだが、意識が高いなと感じるツイートがTLに流れていた。

家で過ごす時間を最高にする方法ということでいくつか列挙しているのだが

cbdvapeで休憩、barthで温冷交代浴、melonでzoom、kindleで読書、とその横文字→日本語の連打のリズムがなんともむず痒くて、いやアイテムの名前が横文字だから仕方ないのだが、どうにも斜に構えて見てしまう自分は小さな人間だなと思う。

なんなんだろうこの感じ。

 

上記の件が意識高いに当てはまるのかどうかはよくわからないが、個人的には、意識高いと言うのは好奇心の成長期なんだと思っている。

子どもが大人の真似をしたがるようなもので、自分にはこういう新しい知見の広がりがありましたよ!見て!というアピールで、これは好奇心を持ったものの健全な成長過程なのだろう。で、それがそのまま成長を続けて一つのマスターになってくれたらとても良いのだが、この好奇心の成長期自体が楽しくて、次々新しいことに目を向けて繰り返している人が少なからずいる。これが意識高い系になるのだろう。

 

例えば学生がちょっとおしゃれなカフェでハイテーブルとハイチェアの席に座ってマックブックエアーを広げながら、机上の写真を撮ってツイートする。

これも、繰り返し繰り返し行うことで、作業のしやすいカフェはここ、こういう気分のときはこのカフェのこの飲み物がおすすめ、などを熟知しているレベルになるとこれはもう意識高い系というより立派な知識ないしスキルだと思う。

しかし、一般にはあまりそこまでは行かず、せいぜい映える写真を撮るのが上手くなるくらいであろう。

 

例えば家で作ったご飯をインスタにあげる。そのとき、やたらに小洒落た盛り付けだったり、食器だったり、食材だったりが多用されている。お店顔負けのクオリティで彩られていたりするのはすごいと思うのだが、大概は毎日そんなことはしない。

 

別に、成長期止まりが悪いわけではないのである。ただ、そこにとどまりつづけて周囲に承認を求め続けると、付き合うのに疲れてしまう人もいるだけである。せっかくなら突き詰めてもらえると見ていて面白いのだけれども。

 

池上彰が週刊子どもニュースのお父さんだったときの言葉で、難しいことを難しく説明するのは簡単だが、難しいことを子どもにもわかるように説明するのはとても難しい、というようなものがあったと思う。ソースが今ないが。

 

この、難しいことを簡単に説明するには、やはりマスターになる必要があって、これができるのはかっこいいなと思うわけである。意識高い系も、さらに進んで意識の高みになると、アウトプットはシンプルになる気がする。

 

ちなみに、意識高いことを揶揄するようなことを書いているが、自分の好奇心はだいたいこの成長期にいることが多い。小難しいことを言いたかったり、承認がもらえそうなアウトプットをしたりしがちである。

 

意識の高みに行ってみたいものである。