プロスクリプティオ

営業を続けるパチンコ店の店名を公表するという措置は、横暴である。

 

 

パチンコ店を擁護したいのではない。大衆が石を投げることを煽るような行政の行為に強い疑問を感じる。パチンコ店に対しての強い措置は世間からの風当たりが弱く、ともすれば賛同すら多く得られるものだ。しかし、歴史が証明する通り、正義の名の下に行われる特定の対象への攻撃は、悲劇を生む。それが行政の手によって生み出されることは許されない。

 


橋下徹は特措法に公表しなければならないと書いてあると言うが、ならば都のような休業要請に従わないのであれば公表する、というやり方はおかしい。要請、指示をした場合は遅滞なくその旨を公表するのであって、指示に従わないなら公表する、ではない。そもそも橋下徹も指摘している通り、特措法のこの条文は権力の監視のためであって、制裁のためにあるものではないのである。

 


歴史には「法の外に置く」いう世にも恐ろしい措置がでてくる。プロスクリプティオといい、古代ローマなどでみられるものだが、要はこの人は法の庇護下にないので金を取ろうが殴ろうが命を取ろうがお好きにどうぞ、ということである。こんな恐ろしいことがあるだろうか。

 


行政が自粛要請に従わない店を公表し、大衆に石を投げさせて知らんぷり、営業自粛しないからですよ、というのは大変怖いものであり、私はプロスクリプティオを想起してしまった。

 


重ねていうが、自粛要請に従わないパチンコ店を擁護はしない。パチンコ店の経営者には、一般的でない倫理観の持ち主がいることもまた事実ではある。

 


しかし、業界には業界の自浄作用がある。行政は今やるべきことが沢山あるのだから、つまらないところにエネルギーを使うべきではない。大局を見失わないことを願うばかりだ。