SUITS2

遅ればせながらSUITS2の2話を見たが、なかなか面白かった。3話以降延期なのが残念である。

 

今回は、吉田鋼太郎演じる上杉がいい感じにうざくて良かった。あと黒木瞳は綺麗すぎる。奇跡にも程があるだろう。

 

織田裕二のくっさい言い回しが魅力の本作だが、今回は「シロウト!?」という名言をいただきました。こんなんなんぼあってもいいですからね。

 

新木優子の顔は好きじゃないのだが、でも美人だなと改めて思った。ここからの中島くんとの絡みに期待ー

無資格を乗り越えてひっつくのかなー

 

今日はとりとめもなく。

 

意識の高み

意識高い系という言葉が今存在するのか定かではないのだが、意識が高いなと感じるツイートがTLに流れていた。

家で過ごす時間を最高にする方法ということでいくつか列挙しているのだが

cbdvapeで休憩、barthで温冷交代浴、melonでzoom、kindleで読書、とその横文字→日本語の連打のリズムがなんともむず痒くて、いやアイテムの名前が横文字だから仕方ないのだが、どうにも斜に構えて見てしまう自分は小さな人間だなと思う。

なんなんだろうこの感じ。

 

上記の件が意識高いに当てはまるのかどうかはよくわからないが、個人的には、意識高いと言うのは好奇心の成長期なんだと思っている。

子どもが大人の真似をしたがるようなもので、自分にはこういう新しい知見の広がりがありましたよ!見て!というアピールで、これは好奇心を持ったものの健全な成長過程なのだろう。で、それがそのまま成長を続けて一つのマスターになってくれたらとても良いのだが、この好奇心の成長期自体が楽しくて、次々新しいことに目を向けて繰り返している人が少なからずいる。これが意識高い系になるのだろう。

 

例えば学生がちょっとおしゃれなカフェでハイテーブルとハイチェアの席に座ってマックブックエアーを広げながら、机上の写真を撮ってツイートする。

これも、繰り返し繰り返し行うことで、作業のしやすいカフェはここ、こういう気分のときはこのカフェのこの飲み物がおすすめ、などを熟知しているレベルになるとこれはもう意識高い系というより立派な知識ないしスキルだと思う。

しかし、一般にはあまりそこまでは行かず、せいぜい映える写真を撮るのが上手くなるくらいであろう。

 

例えば家で作ったご飯をインスタにあげる。そのとき、やたらに小洒落た盛り付けだったり、食器だったり、食材だったりが多用されている。お店顔負けのクオリティで彩られていたりするのはすごいと思うのだが、大概は毎日そんなことはしない。

 

別に、成長期止まりが悪いわけではないのである。ただ、そこにとどまりつづけて周囲に承認を求め続けると、付き合うのに疲れてしまう人もいるだけである。せっかくなら突き詰めてもらえると見ていて面白いのだけれども。

 

池上彰が週刊子どもニュースのお父さんだったときの言葉で、難しいことを難しく説明するのは簡単だが、難しいことを子どもにもわかるように説明するのはとても難しい、というようなものがあったと思う。ソースが今ないが。

 

この、難しいことを簡単に説明するには、やはりマスターになる必要があって、これができるのはかっこいいなと思うわけである。意識高い系も、さらに進んで意識の高みになると、アウトプットはシンプルになる気がする。

 

ちなみに、意識高いことを揶揄するようなことを書いているが、自分の好奇心はだいたいこの成長期にいることが多い。小難しいことを言いたかったり、承認がもらえそうなアウトプットをしたりしがちである。

 

意識の高みに行ってみたいものである。

 

 

春ドラマの延期

新型コロナの影響で、春ドラマが次々と延期になっている。

その中でも延期せずにスタートしたSUITS2だが、残念ながら2話放送後延期が発表され、中断している状況だ。

 

今は撮影を自粛せざるを得ない状況なので致し方ないが、この自粛が延長された場合春ドラマはどうなるのか?夏ドラマにスライドするのか、そのまま中止になるのか。

 

SUITS2は1話を見た限りでは、前作をしっかり踏襲して、同じくらいのクオリティで展開されていた。もともと突き抜けてよくできていたわけではないが、昨今のドラマとして及第点に達していると思う。ただ、今回も無資格で弁護をしていることがどうなるか、というところしかストーリーの骨がないのは心配である。

SUITSは弁護士ドラマでありながら法廷のシーンが少なく、珍しいと思うのだが、法廷で無双する織田裕二の姿も見たいので、今作では増えると嬉しい。

 

だが、まずその前に、再開されることを心から願う。

政治参加とは

政治参加の方法に、新しい方法が確立されつつあるようだ。

 

日本の地方政府には選挙以外に政治参加の制度が用意されてあって、直接請求と住民投票の2つである。しかし、実現にはエネルギーを要する。

 

ところが、今やSNSによる政治参加が成立しつつある気がする。Twitterなどでたくさんの声が集まったものが、実際に政治に影響を与えるようなことが起きている。

今回のコロナ絡みの給付に関しては、お肉券の配布、減収世帯への30万円配布、10万円一律給付と紆余曲折を経たが、そこには常にダイレクトな大量のネット上の声があった。もちろんことは単純ではないし、公明党との関係性が大きな要因ではあるだろうが、政治にとってネット上の声は無視できない存在になりつつあるというのはある程度事実ではなかろうか。

 

投票率の低さが嘆かれるが、政治に無関心な人が多いのでなくて、投票含めた既存の政治参加制度にインセンティブが低いんだと思う。

政治参加の方法は、いろいろあってよい。

初の

とうとう我が社、というか我が部署に在宅勤務が取り入れられた。

一勤一在で、交代交代である。

 

明日はその記念すべき初在宅勤務日だったが、

 

 

有休にした。

 

 

できることがあまりにも少ないにもかかわらず拘束されてるのって辛いんだもん。

なにか嫌なことが起きた時に私の脳裏によく浮かぶ言葉。

 

『まあ災難ってなァ瀑(にわかあめ)みてェなもんで、突如(いきなり)来やがるもンだからな。避けようたって避けられやしねェのよ。いずれ俺だってお前だって、似たような境遇じゃァねえか。死なずに生きていたんなら、良しとしなけりゃなるまいよ』

 

京極夏彦の『巷説百物語』という作品に登場する、又市という主要人物のセリフである。

 

この作品が私は好きで、シリーズ化もしているが、特に一作目の『巷説百物語』は何度も読んだ。

時は江戸時代、又市一味は非合法な依頼を受けてそれを解決することを仕事としているのだが、その方法が「化物仕立て」にしてしまうというもの。何かを起こすのは必ず人だが、それを妖怪や魑魅魍魎の起こしたことのように見せかけるという変わった手法で依頼された揉め事を解決していく。

冒頭の台詞は、又市一味の紅一点、おぎんのもとに舞い込んだ依頼をおぎんが又市に話しているシーンで、おぎんの知り合いに起きた不幸ごとを聞いた又市が漏らすものである。

 

この台詞自体は物語の重要な台詞ではないのだが、とても印象強く頭に残っている。

災いや禍いは求めてやってくるものではない。ある日突然、望まぬのに降りかかるものなのである。それ自体にどうこう言ったり騒いだり泣き続けても、どうにもならないものだ。

ポジティブに捉えようとかそういうことではなく、死なずに生きながらえた身で何をするかなのだと思う。

 

今のコロナ禍も、死なずに生きていたんなら、良しとしなけりゃなるまいよ。

ええ加減にせえよ。

大阪の元府知事同士がTwitterでバトルをしている。

太田房江と、橋下徹である。

 

お互いが激しい口調で罵り合っているが、内容の真偽はともかくとして、見ている分には面白い。

この公開喧嘩を見ている府民は、改めて太田時代と橋下時代を振り返り、何が成果で何が課題で、府としてどうすべきだったのか、有権者はどう選択すべきなのかを考える機会となっているのではないか。

そしてこれは、府民だけでなく、日本中の有権者に必要な作業ではないだろうか。

現政権のやっていることには目を向けるが、終わってしまった政権を評価する作業はあまり行わないし、選挙の時にそれを反映させている人は多くないであろう。

 

しかし、過去を正確にとらえずして、未来の意思決定は難しい。

 

今私たちは、安倍政権の評価を行い、あるいは住んでいる地域の首長の評価を行い、そしてその前の政権の評価も行い、次回の選挙につなげていくことが必要である。

そういう意味では、お堅い分析でなく、今の元府知事バトルのような、当人たちの公開論争というのはとても面白いなと思うのである。

流行らないかなこれ