誹謗中傷と批判と反対と

テラスハウスに出演していたレスラー木村花さんが、命を絶った。執拗なSNSでの誹謗中傷を受けていたと言われる。

このニュースは世界でも注目されることとなり、大きな波紋を呼んでいる。

 


とても痛ましい出来事であり、亡くなった木村さんには心からのご冥福をお祈りするとともに、同じような悲しいことが起きないことを切に願う。

 


また、きゃりーぱみゅぱみゅ検察庁法改正に関するツイートをしたところ執拗なSNSでの攻撃を受けた件があり、こちらも大変物議を醸している。きゃりーぱみゅぱみゅを攻撃している人の意見に、きゃりーぱみゅぱみゅ安倍総理を叩いたのだから許されないと言ったものがあり、驚くことには、同様の意見を表している人が一定数いる。

 


木村さんの件もきゃりーの件も、「自身の基準に照らして許せないこと」に対して苛烈な攻撃を加える人の存在を改めて浮き彫りにしたと言えるが、同時に誰しもが持っている感情がSNSというツールにより表面化しているだけだとも言える。

 


私にも同様の感情がよく起こる。

岐阜のホームレスに対して大学生が暴行を加えて死に至らしめた事件を聞いた時、私はその大学生たちが一生苦しむことを願った。もっと言えば、個人情報が全て明るみにされて、厳しい社会的制裁を受けることを願った。

俳優の東出昌大の不倫騒動の際は、東出昌大が世間に叩かれて、骨身に染みるほど反省したらいいと感じた。

これは、私がそれをSNSで表明したり本人に突撃したりしていないだけで、木村さんを死に追い込むほど誹謗中傷を繰り返した人々と何ら変わりはない。もっと言えば、自分でない誰かがそれをやることを望んだという点でより悪質である。

 


根底には、「自分の基準に照らして許されないことをやった人は、攻撃を受けるべきだ」というものがある。さらに、今回木村さんやきゃりーの件が起きるまで、それに対して疑問を抱いていなかった。

 


誹謗中傷、批判、反対意見。

これらは全く違うものである。

しかし、時に混同され、また発信者と受信者の間で解釈に相違が起きる。

 


適切な批判や反対意見は議論の上で必要だが、誹謗中傷をしている人はそれが批判や反対意見であると解していることがよくある。政権批判においても、ほとんど誹謗中傷のようなものもよく目にする。

 


大切なことは、やはり相手を尊重する気持ちを根底に持っておくことなのだろう。

それがなければ、どんなに建設的でもやはり誹謗中傷に進む可能性がある。

 


誰々の死を無駄にしないと言う言い方は好きでないのだが、それでもやはり木村さんの死のことは、今気づかされたことは、心に刻まなければならないと思った。