ブラックアウト

最近仕事が爆死状態でブログを書いていなかったが、今日はもう何も終わってないけど帰ることにした。そんな日も大事。

 

ミネアポリスで黒人男性が警官に過剰な取り押さえを受けて亡くなった事件を発端として、アメリカでは暴動が起き、SNSなどでも抗議の声が拡散し続けている。

 

日本で生まれ日本で育ち日本に住んでいる私のようなド日本人には、人種差別の問題を捉えるのは結構難しい。頭ではわかるが感覚としてわからないと言うか。

 

世界中に差別はあると思うが、とりわけアメリカにおける黒人差別は発信される度合いが強いためか、人種差別の中でも大きくフォーカスされやすく、日本でもこの問題は大半の人が知っていると思う。

 

しかし、歴史的に差別され続け、今なお深い差別が残るということを感覚的に捉えられている日本人は非常に少ないのではないか。

 

20世紀に比べて、21世紀は人権問題についての理解というのはかなり進んではいると思う。性的少数者への理解、障がい者への理解、少数民族への理解などなど。

いや、理解が進んでいるというより、その存在を認めざるを得ない状況が進んでいるというべきなのか。

私も、マイノリティへの差別はなくなるべき、同じ権利を有するべき、と思っているが、それはすでに差別感情が根底にあると言うことである。差別感情がなければそのようなことは思わないはずだからだ。

 

だから、いつもこういった問題に関しては、何も言えなくなってしまう。差別ハヨクナイ、から前に進めない。

 

一つ言えるのは、黒人というだけで警官を見るとビクビクしなければいけない世界は絶対おかしい。

小学生並みの感想だが、これが今の素直な気持ちだ。

誹謗中傷と批判と反対と

テラスハウスに出演していたレスラー木村花さんが、命を絶った。執拗なSNSでの誹謗中傷を受けていたと言われる。

このニュースは世界でも注目されることとなり、大きな波紋を呼んでいる。

 


とても痛ましい出来事であり、亡くなった木村さんには心からのご冥福をお祈りするとともに、同じような悲しいことが起きないことを切に願う。

 


また、きゃりーぱみゅぱみゅ検察庁法改正に関するツイートをしたところ執拗なSNSでの攻撃を受けた件があり、こちらも大変物議を醸している。きゃりーぱみゅぱみゅを攻撃している人の意見に、きゃりーぱみゅぱみゅ安倍総理を叩いたのだから許されないと言ったものがあり、驚くことには、同様の意見を表している人が一定数いる。

 


木村さんの件もきゃりーの件も、「自身の基準に照らして許せないこと」に対して苛烈な攻撃を加える人の存在を改めて浮き彫りにしたと言えるが、同時に誰しもが持っている感情がSNSというツールにより表面化しているだけだとも言える。

 


私にも同様の感情がよく起こる。

岐阜のホームレスに対して大学生が暴行を加えて死に至らしめた事件を聞いた時、私はその大学生たちが一生苦しむことを願った。もっと言えば、個人情報が全て明るみにされて、厳しい社会的制裁を受けることを願った。

俳優の東出昌大の不倫騒動の際は、東出昌大が世間に叩かれて、骨身に染みるほど反省したらいいと感じた。

これは、私がそれをSNSで表明したり本人に突撃したりしていないだけで、木村さんを死に追い込むほど誹謗中傷を繰り返した人々と何ら変わりはない。もっと言えば、自分でない誰かがそれをやることを望んだという点でより悪質である。

 


根底には、「自分の基準に照らして許されないことをやった人は、攻撃を受けるべきだ」というものがある。さらに、今回木村さんやきゃりーの件が起きるまで、それに対して疑問を抱いていなかった。

 


誹謗中傷、批判、反対意見。

これらは全く違うものである。

しかし、時に混同され、また発信者と受信者の間で解釈に相違が起きる。

 


適切な批判や反対意見は議論の上で必要だが、誹謗中傷をしている人はそれが批判や反対意見であると解していることがよくある。政権批判においても、ほとんど誹謗中傷のようなものもよく目にする。

 


大切なことは、やはり相手を尊重する気持ちを根底に持っておくことなのだろう。

それがなければ、どんなに建設的でもやはり誹謗中傷に進む可能性がある。

 


誰々の死を無駄にしないと言う言い方は好きでないのだが、それでもやはり木村さんの死のことは、今気づかされたことは、心に刻まなければならないと思った。

検察庁法改正案に見る政治の変容

検察庁法改正案で日本が揺れている。

 

平たく言うと「国家公務員の定年延長に合わせて検察官の定年も延長しますよ」ということなのだが、ポストについている人の留任を内閣が決められるというところで大きな問題となっている。

 

この改正案の是非に関しては特にここで言及するつもりはないのだが、興味深い点が2つあって、

①賛成、擁護の意見が極めて少ない

②ブログ、Twitter等のSNSでかなり盛り上がっている

というところだ。

①に関しては、一応自分なりの意見を持つため賛成派反対派の意見を一通り確認しようと思ったのだが、恐ろしく賛成擁護派の意見がなく、インターネット上だと双方の意見の比較検討が難しい。

賛成している人ってどこにいるんだろうというレベルである。

自民党からのわかりやすい主張もなく、対して反対派はインターネットに溢れかえっており、小さな山城を攻める関ヶ原東軍、みたいな状態である。

 

素人考えながら、法案を通すためにはそれだけ説得力のある意見が必要だと思うのだが、このご時世にそれがインターネットで出てこないものが、国会で通るとなるとこれはそもそも政治として成立しているのか?と思ってしまう。

 

②に関しては、きゃりーぱみゅぱみゅが叩かれたりとキャッチーな話題が出てきたりもしたが、コロナ禍の自粛による時間の余裕もあってか、かなり多くの人が関心を向け発信しているように思う。

Twitter上の反対署名も盛り上がり、SNSによる政治参加が現実に起きているなと強く感じる。

 

①も②もそうだが、政治というものが変わる必要がある時期なのかもしれない。

 

国会内での議論だけでなく、SNSの監視を踏まえて話し合う。政治家間の根回しだけでなく、SNSでの根回しも必要。

そんな時代になってきたのは、悪いことではないであろう。

腹監督

在宅勤務の際、座っていると、お腹にすごい違和感がある。なんだか熱いし、圧迫感がある。

 

と思ってお腹を触ってみると、

 

肉があった。

 

じ、自粛太り!

 

いや自粛太りではない、単純に食べ過ぎなのである。最近また炭水化物中毒気味であり、お腹いっぱい米やら麺やらを胃に詰め込みたい衝動と日々闘っているのだが、完全に屈しないまでも、お腹いっぱいではないからセーフという閣僚もビックリの論法で以前より量の多い炭水化物を摂取している。

 

YouTubeで大食いを見るのが好きだ。大食いYouTuberの動画についているコメントなどを読むと、見ることにより食べたい欲求を紛らわすダイエッターの方も少なからずいるようだが、自分の場合はそんな器用なことはできない。より食べてみたくなるわけで、数キロのラーメンをすする動画を見た晩は、明日どこかで特盛のラーメン食べられないかしら、と真剣に考えてしまう。

 

さて食べる量を減らさないといけないのは間違い無いのだが、お腹だけ引っ込めることができる魔法のトレーニングはないだろうか。フラフープとかどうだろう。1日5分のフラフープでモテ痩せ!ありそうありそう。

 

とりあえずラーメンでも食べながら痩せる方法を考えることとしよう。

 

 

今日のゴーヤ

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4つのうち3つは支柱に達した。

すくすく。

ゴーヤはるかに

今週のお題「カメラロールから1枚」

 

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昨日植えたゴーヤが、もうすでに蔓を伸ばして支柱に達そうとしている。

成長率がすごい!

 

植物の成長を見守るのは小学生ぶりかもしれない。

がんばれゴーヤ!負けるなゴーヤ!

グリーンカーテンプロジェクト

みどりの日緑のカーテンプロジェクトを始めました。

 

殺風景なベランダに

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芝を引いて

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物干し竿用の突っ張り棒に支柱を渡してネットを張り

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ゴーヤを植えて完成!

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夏にはカーテンになる予定

 

楽しみだ

プロスクリプティオ

営業を続けるパチンコ店の店名を公表するという措置は、横暴である。

 

 

パチンコ店を擁護したいのではない。大衆が石を投げることを煽るような行政の行為に強い疑問を感じる。パチンコ店に対しての強い措置は世間からの風当たりが弱く、ともすれば賛同すら多く得られるものだ。しかし、歴史が証明する通り、正義の名の下に行われる特定の対象への攻撃は、悲劇を生む。それが行政の手によって生み出されることは許されない。

 


橋下徹は特措法に公表しなければならないと書いてあると言うが、ならば都のような休業要請に従わないのであれば公表する、というやり方はおかしい。要請、指示をした場合は遅滞なくその旨を公表するのであって、指示に従わないなら公表する、ではない。そもそも橋下徹も指摘している通り、特措法のこの条文は権力の監視のためであって、制裁のためにあるものではないのである。

 


歴史には「法の外に置く」いう世にも恐ろしい措置がでてくる。プロスクリプティオといい、古代ローマなどでみられるものだが、要はこの人は法の庇護下にないので金を取ろうが殴ろうが命を取ろうがお好きにどうぞ、ということである。こんな恐ろしいことがあるだろうか。

 


行政が自粛要請に従わない店を公表し、大衆に石を投げさせて知らんぷり、営業自粛しないからですよ、というのは大変怖いものであり、私はプロスクリプティオを想起してしまった。

 


重ねていうが、自粛要請に従わないパチンコ店を擁護はしない。パチンコ店の経営者には、一般的でない倫理観の持ち主がいることもまた事実ではある。

 


しかし、業界には業界の自浄作用がある。行政は今やるべきことが沢山あるのだから、つまらないところにエネルギーを使うべきではない。大局を見失わないことを願うばかりだ。